メンタルロボットと人間との共生に関する試論
A Tentative Consideration of Simbiosis of Mental Robots and Human

野村 竜也
Tatsuya Nomura


 日本における労働人口の減少と高齢者の増加および福祉分野の益々の充実を図る必要性などから、ロボット技術をいわゆる「癒し」に応用するメンタルロボットの話題が盛んである。このようなロボット実現の上で重要なのは、使用者からの入力に対してロボットが何らかの感情的(に見える)反応を返すことであり、そのために認知科学や心理学が明らかにしてきた感情に関する科学的知見が用いられる(日本ファジィ学会誌, Vol.12, No.6, 2000 特集参照)。勿論、メンタルロボットが持つ感情は擬似的なものであり、人間の複雑な感情システムを(部分的に模倣したものではあるものの)そっくり実装出来ているわけではない。また、本来人間が行うべき福祉や「癒し」にロボットという冷たい人工物を介在させることへの反発も存在する。人間同士の関係性が重要な介護やセラピーの世界にロボットを導入すること自体1つの社会の歪みであるという主張は正鵠を得ているが、そのようなロボットで癒される人、ロボットの癒しへの導入を考慮せざるをえない現状が存在するのも事実である。

 問題は、メンタルロボットによって本当に人は癒されるのか、現状の技術で可能なのかという点である。人は、対話において明らかに相手が人工物であると認識していても、人間に対して行うのと同様の社会的反応を示すという重要な報告がある(リーブス & ナス, 2001)。つまり、人間はテキスト入出力しかもたないコンピュータ相手の対話においてさえも、相手に礼節を払い、相手が失礼でないかなどのチェックを無意識に行ってしまう。この現象は、マンマシンインターフェースやメンタルロボットの設計において重要な含意を持つ。つまり、それほど複雑なシステムを用いなくても、システムの使用者から感情的反応を充分引き出すことが出来るということである。しかし、このような使用者の感情的反応が必ずしも癒しに繋がらない、むしろ使用者に余分な心理負担を負わせる可能性はないのか。この可能性を考察する上で、感情社会学の知見が有効である。

 感情社会学の1つの成果は、感情に対する拘りやある種の神聖視は近代の産物であることを発見したことである(岡原ら, 1997)。特に、現代人は自己と他者の人格を神聖視し、お互いの感情を害しないように自己の感情マネジメントに常にメンタルコストを払っており、そのための心理学的知識が社会に蔓延しているとの指摘がある(ホックシールド, 2000;森, 2000)。つまり、現代人は自他の感情に過敏であり、感情の発生・抑制さえも社会的文脈に応じて合理目的的にコントロールし、この自己コントロールを行わない者を忌避する傾向が強い。

 人工物とわかっていても無意識に社会的相互作用のための心理負担を負う人間の特性と、現代人特有の感情への過敏性を考慮すると、心理学的知識に基づいて使用者に感情を引き起こすメンタルロボットに対しても人は感情マネジメントのコストを払うと同時に、自分と同等の感情マネジメントを要求する可能性がある。現時点でのメンタルロボットがこの感情マネジメントの要求に答えられるものでなければ、癒しの分野へのロボット導入が拒否されるのは必然であり、逆に感情マネジメントに疲れた人が癒しを求めてメンタルロボットと接すれば、ロボットとの感情マネジメントの応酬に再度煩わされる可能性がある。これは癒しには程遠い。

 また、社会臨床学からは、カウンセリングやセラピー制度的導入は、本来社会制度を原因として起こった個人の心理的不適応の問題を個人の性格や家族などの個人特有の問題へと矮小化し、本来の社会的問題を隠蔽するという批判がなされている(現代思想, vol.28-9, 2000「特集 感情労働」における井上論文等)。メンタルロボットの素朴な介護・セラピーへの導入も、この批判を免れることは出来ないのではないか。

 人工知能の分野においては、益々ロボットやソフトウェアを人間に近いものにするための理論開発が盛んになっており(Dautenhahn, 1999)、メンタルロボットの反応も今後より細やかになる可能性が高い。それが人にとって癒しとなるのか、新たな心理負担の源になるのか、現状では予測は難しい。


参考文献

  • Dautenhahn (1999), Human Cognition and Social Agent Technology, John Benjamins..
  • ホックシールド (2000), 管理される心, 世界思想社.
  • 森 (2000), 自己コントロールの檻, 講談社.
  • 岡原 他 (1997), 感情の社会学, 世界思想社.
  • リーブス & ナス (2001), 人はなぜコンピュータを人間として扱うか, 翔泳社.

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